父の永眠と台風15号の災害

本年6月16日より股関節の痛みのため動けなくなって入院していた父が、9月22日に92年の生涯を閉じました。

父は10歳で母親を亡くし、姉と幼い弟2人のため、鍛冶屋の祖父を助けていた母親代わりに鍛冶の手伝いをして10代を過ごしたため、学校にはあまり通えませんでした。鍛冶屋では儲けが少なくかなりの貧乏でしたので、苦労をしてヤギの人工受精士の免許を取って鍛冶屋と並行して行っていました。父は友との話がとても好きで、母と結婚していても遅くまで酒も飲まず(酒はあまり強くない)に友の家で話をしていました。その中で、鉄骨建築のヒントをいただき30代後半で立ち上げ、50代で議員となり、60歳で兄に事業を引き継ぎました。60代になると重いリウマチに罹り、70代半ばで良い治療薬が見つかり安定していましたが、90歳を前に遠い医院から近くの医院に代わり、より軽い治療薬に変えてから動きが悪くなり認知も入ってきて、本年4月にはには首のリンパ腺がこぶのようになりました。リンパ腺のこぶは、リウマチ薬でできやすく悪性だと半年ぐらいの寿命と5月に診断されました。リウマチ薬を止めましたがこぶは消えず、6月13日に股関節に強い痛みが発生し、ベットから動くことができなくなり、肺炎、心筋梗塞を起こし16日に病院に入院しました。入院後に一時状態が良くなり歩行のリハビリをしていましたが、誤嚥性肺炎を起こし、あごのリンパ腫がさらに大きく硬くなり亡くなる前の10日間ぐらい38℃以上の高熱が出て意識不明になっていました。9月22日5時11分に病院から呼び出しがあり母、妹と駆け付けたところ、父の状態は酸素マスクでの呼吸は静かでしたが、手足の先が冷たくさすって温めましたたがなななか暖かくなりませんでした。9時前に呼吸が荒くなり、手足の先も暖かくなり、奇跡的に左目が1mmぐらい開き、呼びかけをするとさらに開きましたが、数分後ローソクの灯が消えるように息が絶えました。まさに最後の別れをしたようでした。この時には、父に付き添った家族みんなが苦労して家族を守った父に「ありがとう」とお礼を言いました。その日に父の亡骸を自宅に迎え、私が喪主で通夜を25日、葬儀・告別式26日に行うように決めました。

 

9月23日に台風15号が自宅周辺を襲い、大変な被害が出ました。

被害状況は中日新聞に写真掲載されました。

自宅前の県道と周辺家屋が550mに渡り土砂崩れの被害にあいました。24・25日に地域の人が優先的に私の自宅周辺を片付けていただき、24日には私も土砂の片づけを手伝い、25日15時30分に災害の片づけの手を休めた地域の多くの人に見送られ自宅から父の亡骸を無事に出棺させることができました。その後、通夜を済ませました。

26日には、かなり被害が出ている自宅の片づけを中断した地域の人たちに助けていただき、葬儀・告別式を終えることができました。27日は、葬儀までの整理を行いました。

28日から10月2日まで、両腕と腰の痛みと闘いながら、自宅と山側にある倉庫の土砂と災害ごみの片づけを行いました。3・4日は市役所と金融機関で手続きを行い、5日より徐々に日常に戻っていますが、私の敷地にはまだまだ土砂の片づけが残っています。

写真は、10月4日時点の状態です。6日にはほぼ道路上の土砂はなくなりましたが、通行止めは解除されず、山側には取り切れていない土砂がまだまだあります。